「空気なんて読めなくていい。」

本日衣笠キャンパスにて貼りだしたビラの文面の全文は以下の通りです。

「いま大学は自由な空間か」

この大学では「勝手」に壁にビラを貼ることが「違反」とみなされる。
壁に残されたビラは、明くる日にはすべて綺麗に剥がされ、
このキャンパスはいつもの整然とした姿へ戻ってゆく。

どんなビラにもそこには創作した学生たちの声が込められている。
それは「規制」を破ってでも、それでも発せざるをえなかった声だったのかもしれない。
しかし、その「内容」は顧みられることすらなく、すべて剥がされ、かき消されてしまう。

整然としたキャンパス――。
入学式にサークルの勧誘を行うこともできず、勧誘活動を学生たち自身が規制する。
掲示板の枠外に貼られたビラは剥がされ、企画ひとつ自由に打つことも許されない。
そして、「政治的なもの」は大学に持ち込んではいけないと「指導」される。
けれども、それがなぜなされるのかを、わたしたちはよくわかってはいない。
そうであることが当然であるとわたしたちが思いこんでいる、その理由も含めて。

わたしたちは、わたしたち自身で考え行動することができる。
だから、いくらでも、好きなだけビラを貼って撒けばいいし、学内に「政治的なもの」を持ち込めばいい。
「卒業までに、空気の読める大人になろう」と呼びかけるこの大学を、
そして、「この大学が自由である」と信じてきたわたしたちを、いま疑い問うべきなのだ。

「大学」がもっと、混沌とした場であるために。
混沌とした場に生まれる、予期せぬ出会いのなかにある「自由」を。

立命館大学とすべての大学が、「大学」たらんことを願って。